■番外編2 「ザイのやさぐれ恋模様」4
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白襟、紺服、ラトキエ領邸メイド服。小首をかしげ、まじまじ顔を仰いでいる。
ザイは息を呑み、硬直した。なぜ、彼女がここにいるのか。
白い車道を照り返す強い日ざしが脳裏をよぎる。安全な場所まで送り届けたはずだった。北門通りを向かいに渡り、歩哨が定期的に巡回する北街区の行政区画へ。確かに、この目で見届けた。あの姿が領邸北門が間近にある外壁の角に消えるのを──。
ふと、気づいて額をつかんだ。
「……あんた、スか」
ようやく思い至って脱力する。彼女らのかかえる特殊な事情に。
リナがまなじりつりあげ、指さした。「あーっ! 今、やな顔したでしょー!」
「気のせいですよ」
「嘘! 今やな顔したもん!」
「だから気のせいですってば」
気のない棒読みで目をそらす。リナが口を尖らせて回りこんだ。
「絶対、チッて舌打ちしたもんっ!」
「もー。嫌ですねえ何言ってんだか」
ザイは愛想笑いで、ちょいと手を振る。井戸端会議のおばさんのごとくに。
「絶対忘れてたでしょー、あたしの存在!」
「忘れるわけないでしょ、あんたみたいにやかましい人を。じゃ、俺はこれで。ごめんくださ──」
「逃げる気ぃ!?」
ぐい、と腕を引っぱり戻して、むう、とリナはぶんむくれた。
「なあによ、今の"なんだ〜"みたいな反応はっ」
「だから、してませんて。なにを言ってんだか」
「わっるうござんしたねえ。ラナじゃなくって!」
「……は?」
ザイは面食らって動きを止めた。
とっさに地面に目を伏せて、刹那、視線をわずかに揺らす。
くるり、と向きなおって顎を出した。
「なにほざいてくれちゃってんスか。そんなこと、あるわけないでしょ」
「はあ? 自覚ないわけ?」
白けたように顔をしかめて、リナは両手を腰に押し当てた。「呆れた。いい年して、しょーもない。にしても、今の顔ったら、なかったわね。鎌風でもあんのね、あわてること」
「だから、よしてもらえませんかね、俺の通り名ふつうに呼ぶのは」
ザイは腕を組んで向きなおった。「たく。どーしてくれるんスか」
「なによ」
「あんたでしょ。俺のヤサ、悪乗りメイドにばらしやがったのは」
お陰で占拠されたじゃないっスかー、と半ば本気で抗議する。
リナは「ふぃー、あっつい」と強烈な夏日に顔をしかめて、ぱたぱた顔をあおいでいる。「あたしじゃないわよ。なんか今、はやってんのよ」
「はやってるって何が」
「だからー"鎌風が"よ」
興味なさげに、肩先の髪をいじくる。「ああ、オフィーリアにつられて騒いでんじゃないの? ほら、隣のオトコは青く見えるとかって言うからさー」
「そいつはたぶん、隣の芝生って話スね」
「ね、それよりさー」
リナは気もそぞろで、そわそわ見まわす。「副長しらない? 鎌風もあいつのこと捜してんでしょ?」
例の赤リボン除去の任務で。
ザイは軽く肩をすくめた。「もう済みましたよ、俺の方の用件は」
「どこにいたっ?」
ばっ、とリナが振り向いた。
「相変わらず落ち着きがないスね」
「いーから早く言いなさいよっ!」
せっぱ詰まった鬼気迫る形相。
ほい、とザイは指さした。
「えーと確か、あっちの方、でしたかねえ?」
リナは方角を確認するや、わたわたそちらに踵を返した。「あっそ! ありがと! じゃあね鎌風──」
「けど」
あわただしいリナを制して、ザイは思案げに顎をひとなでする。「連れがいた、ようスけどね」
「連れえ?」
ぴくりと頬を引きつらせ、リナが胡乱に振り向いた。
「どこの女よ」
ただならぬ怒気のこもったおどろおどろしい低音の問いかけ。
ザイは指を突き立てた。「ほら。いたでしょ、おたくの屋敷に。赤い頭のどら息子が」
「は? レノさまのこと?」
ぽかんとリナは口をあけた。
事情がよく飲み込めないのか、呆然とした顔で固まっている。思考が停止したらしい。
口をつぐんで三秒後、はた、とようやく我に返り、わたわた周囲を見まわした。「な、なんで? なんで副長、レノ様と? 友達?」
「そんなことまで知るわけないでしょ」
リナはしきりに首をかしげて、うろうろおろおろ歩きまわっている。「……ありえなくない?」とつぶやいているところをみると、やはり、二人の接点が見つからないらしい。もっとも、大抵の者が首をかしげる取り合わせではある。
「……うーん。レノさまかあ。ちょおっとハードル高いかなあ。あの人けっこう意地悪なとこあんのよねえ。感づいたら、なに言われるか……けど……」
ぶつぶつ呟き、足を止め、ぱっと顔を振りあげた。
「ねえねえ鎌風! こっちきて!」
両手を腰に、にんまっと笑顔。
はい? とザイは肩を引きつつ不審顔。
「なんで、逆に遠ざかんのよ?」
「なんでもないスよお構いなく」
「なんで逃げんのっ!」「なんか、黒い笑顔スよねえ?」「なにげに失礼よね鎌風って!」「いえいえ、どーいたしまして。俺は正直なだけですって」
「いーから、こっち来なさいってば!」
じれったげに腕を引っ張った。
「うーんと──そう! 内緒話するみたいに!」
ザイはさりげなく肩を引き、笑顔でじりじり腕を引き抜く。「一体なんの話でしょ」
「ないわよ話なんて。だから "みたいに"って言ってんでしょ!」
「どーしてもしなくちゃいけません?」
「往生際が悪いわよ! さっさと来てよ! とって食いやしないわよっ!」
ぐいぐい引っぱり、リナは足を踏ん張っている。
「……なんスか、内緒話ってのは」
散々渋って、ようやく諦め、ザイは渋々背をかがめた。その肩に素早く手をかけて、とん、とリナは伸びあがる。
「──あのね」
するり、と首元に滑りこんだ。
ザイは前かがみで固まった。刹那、頬に感じた、こそばゆい感触。柔らかな唇の──。
「うーん。こんな感じ、でいいっかな?」
とん、とかかとを地に付けて、リナは顎をさすって思案顔。
ぱちくりザイは見返した。「なんスか、今のは」
えへへ、とリナが後ろ手にして顔を仰いだ。「ちょっとね練習。背の高さ同じくらいでしょ、副長と」
「よしてくれませんかね、人を稽古台に使うのは」
そういうことすると勘違いするでしょ俺が、とザイ。
「だって、ぶっつけ本番でうまくいかなかったらどーすんのよ」
「副長を襲う算段にひとを巻き込むのはやめてくれません? つか、普段はそんなに(がさつで)豪胆なくせに、本当に気が小さいスね」
ザイは呆れ顔でリナを見た。
「まったく何を企んでんだか。悪ふざけもほどほどにしとかねえと、ぶっ飛ばされますよ、副長に」
やれやれと視線を巡らせる。「そんなもん、当たって砕けりゃいいじゃねえスか」「砕けてどーすんのよ。他人事だと思って」
ふと、何かに気づいた顔で、くるりとリナを振り向いた。
「そういうことなら協力しましょ」
ぐい、と手首をとって、歩きだす。「砕けちゃ大変ですものねえ」
ととと、とかかとでたたらを踏んで、リナは「……なによ、この手は」とザイを見た。行く手の路地に目をやれば、連れこみ宿の妖しげな看板──?
ザイは一転、いそいそ早足。
「何事も実戦あるのみですよ」
ふんぬっとリナが踏み止まった。
ぐい、と力任せに引っぱり戻され、ザイは肩越しに振りかえる。
「じゃあ、あたし、なに食べよっかなあ?」
にたり、とリナが笑いかけた。「おごってくれるんでしょ? お昼ごはんっ!」
「……お昼ごはん?」
「あ、デザートもよろしくねえっ!」
くるり、とザイは背を向けた。
今きた道を、すたすた戻る。「冗談ですって」
「えーっ! ちょっとー。じゃあ、お昼ご飯はーっ?」
「だから冗談ですって。嫌ですねえ、わかってるくせに。つか、本当に双子なんスか、あんたら」
「わーるかったわねえ、ラナみたいにおしとやかじゃなくってっ!」
リナは腰に手を当て、ぶんむくれる。
「とにかく! そーゆー気遣い要らないから」
びしっと宣言、ぴらぴら手を振り、大通りに踵を返した。「ま。鎌風もあたしの幸運祈っててよ。そのあたりのごみ箱の陰から」
るんるん鼻歌で駆けていく。ザイは溜息まじりに見送った。
「副長の機嫌が悪化したら、さっさとどこかに逃げるんスよ!」
背中でぴらぴら手を振る了解の合図に「……こりねえな」と肩をすくめて、逆方向に歩き出す。「しらねーぞ。また泣かされたって」
ぴた、と足を止めた気配がした。
なぜか、ばたばた肘を振り、わっせわっせと戻ってくる。「ちょっとちょっと! かまかぜかまかぜっ!」
「……もー、なんスか」
ザイはいささかうんざり振りかえる。「まだ何か言い足りないことでも? つか、なんでそんなに元気なんです?」
このくそ暑い昼のさなかに、とぼやいている内に、リナは目の前まで走りこみ、息を切らして膝をつかむ。「……そっ、そーそー。いっこ言い忘れてた、こと、あって」
ぎろりと下からねめつけて、人さし指を振りたてる。
「あんた、オフィーリアのこと泣かしたら承知しないわよ」
「……は?」
ぱちくりザイはまたいた。
「こいつはまた、ひどい言われようスね。俺は何もしてないでしょ。つか、むしろ」
だが、返事半ばで、リナはわたわた踵を返す。
用は済んだと言わんばかりに、さっさと駆け出したその背を見送り、溜息まじりにザイはぼやいた。
「むしろ俺の方でしょうが、泣かされてんのは」
背を向け、ようやく歩きだし、ふと、斜向かいに目をあげた。
足を止め、無人の街路を怪訝に見やる。
「……気のせい、か」
人がいた、そんな気がする。
刹那写りこんだ視界の端で、さっと人影がひるがえった気がした。あわてて身を隠したように。もしや、誰かに尾行られていた? 思い当たる節がないでもない。
「ウォード、いや、頭(かしら)──」
ザイは顎をなで、首をかしげた。
「ってわけじゃねえよな」
あのつたない隠れ方。
はっきり見分けられる動作の遅さ。あの二人の尾行なら、尻尾もつかませはしないだろう。つまり、今のは素人だ。だが、どんな目的で?
ザイは腑に落ちない顔で首をかしげた。そう、それなら、
一体、誰が。
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